価値観ピラミッドできあがった・・・。長かった・・・。
できあがって、思いました。
「なんだこの自意識過剰中二病ピラミッドは・・・。」
オンラインイベントとかで、「〇〇さんの価値観ピラミッドはどんな感じですか?」とお話する場面も少なくないので、そういうときは、
「学び」→「アップデート」→「フラット」→「感化」→「前進」
と言うようにしてます。意味はほぼ同じです。初対面の方に、この激痛ピラミッドを共有するわけにいかないので・・・。
じゃあなんでわざわざ突飛な言葉にしてあるか、その理由を書こうと思います。
まず土台となる「文学」について少しだけお話させてください。
辞書的な意味で言えば、「文学」とは、”言語によって表現された芸術のこと"、"人の感情や情緒に訴える芸術作品"です。
人の感情や情緒に訴える作品、という意味では、本も、映画も、ニュースも、法律も、人との会話も、誰かが書いた文章も、全部「文学」だと、ここでは捉えています。
つまり、常に言葉に触れている状態と定義しました。
そこからのつながりは自己理解プログラム受講者の方なら、なんとなくご想像していただけるかなと思います。
私はこれまで、いろんな言葉に感化されて、救われてきました。
世界の色が変わる瞬間を経験しました。
固定観念が破壊されることで、踏み出せた一歩がいくつもあります。
価値観ピラミッドを作っているとき、
いろんな人の価値観ピラミッドを参考にさせてもらって、
いろんな言葉をあてはめてみて、
でも、そのどれも自分にしっくりきませんでした。
たぶんそう思いながら価値観ピラミッドと対峙している受講生さんは私だけじゃないと思います。
そこから、なんとか自分らしいところに近づけていって、「文学」「破壊」「フラット」あたりを捻出して。
最後まで苦戦したのが、頂点の価値観でした。
当初候補としてあがっていたのが「救済」と「前進」でした。
「感化」された先で、一歩を踏み出せたらいい、救いがあればいい、そんな思いがありました。でもなんかしっくりこなくて。
そのときに「1」という数字を思い付きました。
一筋の光が見えればいい、
最初の一歩が踏み出せればいい、
成果(一番)が出せればいい、
最善の一手を打てればいい、
そういうのを全部まとめて「1」にしたら、なんだか妙にしっくりきて。
それと、もうひとつ理由があって、
私は最初、価値観を、前向きで、明るい行動をイメージさせる動詞や名詞から探していました。だから最初は「前向き」とか「向上」とか「光」とか入れてました。でも自分そんなに明るいくて前向きな人間じゃないしな、とか思って(笑)
価値観ピラミッド=前向きな言葉を使わなければいけない
っていう、そういう自分自身の思い込みをぶっ壊したかった。
別に、数字でもいい。記号でもいい。外国語でもいい。人の名前でもいいかもしれないし、土地とか、食べ物の名称でもいい。それが自分らしいと思えるなら、それで一歩前に進めるなら。
STEP3で、「なんか自分にしっくりこないなー」って悩んでいる方が、もっと自分らしい言葉(別に変に奇を衒う必要はないです)に出会うきっかけになってくれたら、こんなに幸せなことはないです。
なぜならそれが、私のピラミッドの頂点の価値観だからです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。