自己理解プログラムを受けた理由
「自分の得意を見つけたかったから」
表向きはそうだ。
でもたぶん本心は違う。
心のどこかで、
「このプログラムを受ければ、コーチがまだ見ぬ私のとんでもない才能を発掘してくれて、あわよくば稼げちゃったりして、あわよくば今の仕事をやめられちゃったりして」とかそんな甘ったれたことを考えていた。
上手くいかない現実に嫌気がさして、大した才能も、優れた人間性もないから今の場所にいるのに、そのことを受け入れずに、ただ逃げ回っていた。そうして辿り着いたのが、このプログラムだったように思う。
過程のことは書いてもしょうがないので、結果だけを書くが、
「やりたいこと」は見つけられたが、
「やりたいこと」を仕事にすることはできなかった。
そして、今後、仕事にするつもりもない。
「言葉」が好きだった。文章を書くのも好きだった。
だから、周りからは、ライターになったら、とか、出版社に就職したら、とか、言われて、自分もそうできたらいいなと思いながら、まごついていた。
このプログラムが激推ししている発信にも、二の足を踏んでいた。
かつてメディアの仕事がしたくて、メディアの勉強ができる大学に入った。
そこで気付いたことがあった。
「情報」とは、発信する側の意図によって作られ、切り取られる。
嘘で塗り固められたものが、この世に出る。
私たちが受け取ることができるのは、真実なんかではない。
発信する側の都合のいいように操作された情報だけ。
「言葉」は好きだが、「嘘」が嫌いだった。
これが、実現手段の候補となるほとんどを、打ち砕く理由だったように思う。
なぜなら、せっかく自分と向き合って出した答えが、発信するための媒体にのせた瞬間に、「嘘」っぽくなるのを感じたからだ。「好き」の純度が濁る感じがしたからだ。(これは私の価値観で、みなさんがそうと言っているわけでは決してないです。)
そうして最後のセッションで、
「お金、稼げなくてもいいですか」
「いいですよ」
「発信、しなくてもいいですか」
「はい」
「ビジョン、他人に届けなくてもいいですか」
「りこさんがビジョンの中にいさえすれば」
すると、コーチが、【最初の実現手段】のところに「いろんな価値観に触れ続ける」と書いた。
私は「これなら、できそうです」と答えて、その日のセッションは終了した。
次の日、オンラインイベントで、実現手段について話してみたけれど、こいつは何を言っているんだという顔をされた。
お金はどうやって稼ぐんですか?とか、他人への価値提供は無視ってことですか?とか聞かれて、何も上手に答えられない自分が、おもしろくて笑ってしまった。
よくわからない答えが出てしまった。
でも、純度100%の答えが出たと思っているので、これでいい。
意味不明で在れ、他人にとって理解できなければできないほど、そこにはその人の大事なものが眠っていると、私は信じている。