虚無

記録用です。需要はありません。

さびしさは鳴る。

 

本の感想を書くのが苦手だ。

 

作者の言葉を濁しているみたいだから。
誰かの言葉を、さも自分の言葉かのように、振りかざして偉そうに語るのが嫌い。
だから、世の中のブログというものが、あまり好きではない。

 

できるだけ、彼女たちの言葉の輪郭を崩さないように伝えたくて、1ページ目だけでいいから読んでみてと言ってみたり、初心者を惹き付けそうな一文を作中からそのまま抜き出してみたりするんだけど、やっぱり上手く伝わらなくて、その場の興味と話題が、ビジネス書だったり、わかりやすいエンターテインメント作品に移ったのを確認して、私の手垢でぼろぼろになった、その「わかりにくい」本を、そっとカバンにしまう。ここまでがよくある風景。

 

どうしてこの本を読んでくれないのとか、読んでも何も思わないのとか、思うんだけど、きっとそれはみんなが学生時代「痛く」「孤独」でなかったからだ。さびしさの音が、聴こえたことのない人たちだ。

 

だからこの本を読んで、何とも思わなかったひとは、そのことをどうか誇って欲しい。上手に生きてきたんだ。私にはそれがひどく羨ましい。

 

見えてしまう現実や、聞こえてしまう音に、蓋をすることは、それに自覚することよりも、きっと遥かに難しい。

 

それでも、私みたいな人間は、流してしまえば楽に生きられる「何か」の正体を暴かずにはいられない。

やさしいひとを目の前にして、甘えるのではなく、そのやさしさの裏にある傷を、えぐりたくなる。

綿矢りさ作品の主人公も、また、正常な人が見逃したり、蓋をしたりする、現実や、言葉や、音や、空気に、敏感に、真正面から立ち向かうんです。

 

この本に出会って10年が経った。


こうして今感想を書くことも、初めてこの本を手にした当時の私の感じたことには到底及ばず、濁しているようで、上手く繕っているようで、いらいらする。

 

やっぱり、本の感想を書くのは苦手だ。